2009年12月17日

斉彬と若手藩士は

斉彬と若手藩士は「斉興隠居・調所失脚」で結束し、嘉永元年(1848年)、ついに琉球における密貿易を老中・阿部正弘に密告するという、一歩間違えば藩改易に成りかねない紙一重の手段に打って出る。琉球での密貿易は慶長14年(1609年)に藩祖・島津忠恒の琉球出兵以来、行われてきた公然の秘密で、薩摩藩の主要な収入源の一つであった。調所は密貿易に商人を関わらせ、利益を上げさせることで藩の借金を棒引きにさせていた。調所は阿部から直接事情聴取を受けた直後の嘉永元年12月19日(1849年1月13日)、薩摩藩江戸藩邸で急死する。これは密貿易関与により斉興が隠居に追い込まれないよう一人で罪をかぶり自殺したものとされる。

これにより調所の排斥には成功したものの、肝心の斉興は隠居しなかった為「斉彬襲封」の実現には失敗した。一方、補佐役を失った斉興はさらに斉彬を恨み、是が非でも久光に跡を継がそうと思う様になった。

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お由羅の方は我が子・久光擁立を計った調所に同情していたらしく、調所の遺児を密かに側用人として召抱える等して支援していた。一方その頃、斉彬は多数の子女を儲けていたもののその多くが幼少の内に死亡しており、生き残っていたのは女子3人だけであり久光の子女が無事に成長していたのとは全く対照的であった。斉彬派の家臣はこれを「お由羅の方が斉彬とその子女を呪ったものである」と考え、お由羅の方及び久光を擁立する家臣をこれを理由として排除しようと計った。

ここに及んで斉彬派は江戸家老・島津壱岐や二階堂主計といった改革派に加え、藩内若手の期待を得たのに対し、久光派は久宝・久徳・伊集院平・吉利仲といった斉興側近の家老で固め、調所が築いた安定を堅守しようと鋭く対立した。

2009年12月01日

自然保護とノネコにまつわる問題

本来その地域にいなかったのに、飼い猫として持ち込まれた後に捨てられるなどして野生化/半野生化したイエネコ、すなわちノネコが、地域の生態系を破壊してしまうことがある。

イエネコには、家畜化された動物に共通の、旺盛な繁殖力がある。また、イエネコには案外、ヤマネコ類に伍して山野で生きていく生存力があることも知られている。南西諸島には、西表島のイリオモテヤマネコや、沖縄本島北部のヤンバルクイナやケナガネズミ、奄美大島のアマミノクロウサギなどの貴重な固有種が数多く生存しているが、これらの土着生物に対して、野良猫(ノネコ)が大きな問題となっている。
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旺盛な繁殖力をもつノネコ(イエネコ)は、従来は比較的繁殖能力の低いイリオモテヤマネコから捕食されることで個体数のバランスがとれていたヤンバルクイナ等の小動物を捕食しながら繁殖し、それらの動物の個体数を激減させるに至っている。ヤンバルクイナ等希少種の生存圏は、ノネコのほかに人間がハブ退治のために持ち込んだマングースの捕食によっても脅かされているが、ノネコとの交雑によってイリオモテヤマネコが雑種化したり、FIV(いわゆるネコエイズ)等の病気をノネコから感染させられることが危惧されている。

これらの問題に対して、環境省では、ノネコやマングースを捕殺することで対処しようとしているが、ノネコに関しての自治体の対応は、猫の愛護組織との軋轢を避けるため、ともすれば消極的である。ただし、ノネコの増加を抑え、イリオモテヤマネコとの交雑や感染を防ぐため、現在西表島で飼育されている飼いネコについては、埋め込み式の電波タグを義務づけ、屋外に出さないよう呼び掛けている。

2009年11月27日

投射手段のロケット化

戦後、爆雷は更なる遠方への投射を目指し、弾体後部にロケットモーターを取り付け、目標海面まで空中を自力飛翔する対潜ロケットへと進化する。これは空中・水中とも無誘導であったが、水中を垂直沈降するだけでは命中性に乏しいという爆雷が本来的に持っている欠点は依然カバーできず、やがて誘導魚雷の登場により、弾頭を爆雷から短魚雷に替えた対潜ミサイルに取って代わられていった。しかし、現在でもロシア製のRBU対潜ロケット発射機が、ロシア海軍、インド海軍、中国人民解放軍海軍などで使用されている。

一方、核兵器が実用化されると爆雷にも核爆発装置が用いられ、広範囲の海中を一気に無力化する核爆雷が配備されるようになった。威力が巨大なため敵に近接して起爆しさえすればよく、水中での精密誘導は必要ないため自然沈降する爆雷の形をとっている。発射艦から爆発地点までの距離が近いと自艦にも被害が及ぶため、ある程度遠隔から攻撃する必要があり、このため投射手段はロケット(もしくは航空機からの投下)に限られた。例えば核爆雷の1つである Mk17 は10キロトンの破壊力を有する弾頭を持っていた。アメリカ海軍においては冷戦終結後に海上配備戦術核が廃止されたために、核爆雷は配備されていない。
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現代でも用いられている爆雷としては、航空機が搭載する航空爆雷、機雷の爆破処分に用いる処分用爆雷などがある。また、小型の潜水艇(ミゼット・サブマリン)に対処する必要がある海軍では、爆雷が短魚雷・対潜ロケットなどと併用されている。

航空爆雷は、航空機が空中より投下して使用する爆雷。海上自衛隊では「対潜爆弾」と呼称している。

2009年11月13日

幸若舞

幸若舞(こうわかまい)は、室町時代に流行した語りを伴う曲舞(くせまい)の一種。福岡県みやま市瀬高町大江に伝わる重要無形民俗文化財の民俗芸能として現存している。能や歌舞伎の原型といわれ日本最古の舞楽として 700年の伝統を持ち、毎年1月20日に大江天満神社で奉納される。

幸若舞は、中世から近世にかけて、能と並んで武家達に愛好された芸能であり、武士の華やかにしてかつ哀しい物語を主題にしたものが多く、これが共鳴を得たことから隆盛を誇った。一ノ谷の合戦の平敦盛と熊谷直実の『敦盛』などは特に好まれたといわれている。
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「幸若系図」によれば幸若舞曲を創始したのは、源義家から10代後の桃井播磨守直常の孫直詮とされ、幼名を幸若丸といったことから幸若舞の名が出たとされている。幸若丸は越前国丹生郡西田中村に住んでいたが、父の没後比叡山の稚児となり、生まれつき歌舞音楽に優れた才があり、草子に節をつけて謡ったのが評判になって幸若舞と呼ばれるようになったとのことである。これが越前幸若舞のはじまりである。越前幸若舞は桃井一族(八郎九郎・弥次郎・小八郎)のみに伝承されたが徳川幕府崩壊と共に廃業した。

初代幸若の子弥次郎の弟子に山本四郎左衛門という人がおり、幸若舞の一流である大頭流をたてた。その弟子の百足屋善兵衛の、そのまた弟子(つまり山本四郎左衛門の孫弟子)の大沢次助幸次という人が、天正10年(1582年)、筑後の山下城主蒲池鎮運に招かれて九州に渡り、柳川城主の蒲池鎮漣などが家臣達にこの舞を教えたと伝えられている。それが大江幸若舞である。明治維新後禄を離れた各地の幸若舞はその舞を捨ててしまい、この大頭流の大江幸若舞のみが現在に伝わっている。大江の地に受け継がれてから、2009年現在で222年の伝統がある。

2009年11月02日

ルンガ泊地を出撃した米上陸部隊の主力

ルンガ泊地を出撃した米上陸部隊の主力である第3海兵師団は11月1日、ブーゲンビル島西岸のタロキナ岬に上陸を開始した。日本軍守備隊1個中隊を全滅させたアメリカ軍は、橋頭堡の建設を開始した。

日本軍司令部はアメリカ軍の上陸地点をショートランド島とブインに近いモライ岬であると予測していたが、実際にはブインとジャングルで隔てられたタロキナ岬に上陸されたため、迅速に反撃することができなかった。急遽、日本軍は第17師団の歩兵第54連隊の1個大隊による逆上陸作戦を計画し、その支援のため海軍はラバウルより艦隊を発進させたが、翌2日に発生したブーゲンビル島沖海戦で、視界不良の中で米艦隊のレーダー照準射撃を浴びて敗退した。なおも日本軍は逆上陸を行おうとし、支援部隊として第二艦隊をラバウルに進出させたが、アメリカ軍機動部隊によるラバウル空襲で大損害を受けた。ただし駆逐艦4隻に分乗した逆上陸部隊は、軽巡阿賀野などの支援の下、11月7日にタロキナ近くのコロモキナ潟への上陸に成功した。逆上陸部隊は、アメリカ軍の第9海兵連隊の2個大隊と戦闘となり、続々到着するアメリカ軍増援の前に2日間の戦闘で敗退した。
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陸上からも歩兵第23連隊を中心とした第6師団部隊によりタロキナ奪還作戦が試みられたが、困難なジャングル内の移動で消耗し、補給も続かず、11月11日に作戦中止して後退した(第一次タロキナ作戦)。

2009年10月23日

民事再生法

民事再生法(みんじさいせいほう、平成11年法律第225号)とは、経済的に窮境にある債務者の事業または経済生活の再生を目的とする日本の法律である。日本における倒産法の一つ。

従来、同じ目的で用いられてきた和議法(大正11年法律第72号。民事再生法の施行に伴い2000年(平成12年)4月1日廃止)の特徴であった簡素な手続構造を基本的に維持しつつ、再建計画(再生計画)の可決要件を緩和する一方で、その履行確保を強化するなど、使い勝手のよい再建型倒産法制の構築を目指した。
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手続を利用できる債務者の範囲については法律上の制限はなく、個人、株式会社その他の法人などが利用できるが、主として中小企業の再生に用いられることを想定している。しかし、上場企業その他の大企業、たとえば、そごう、平成電電なども利用している。従来の経営陣が事業の経営権を喪失し、管財人がその経営に当たる会社更生法と違い、経営陣の刷新は、法律上必須ではない。

従来の和議法では、破産原因のあることが手続開始の要件とされていたため、手遅れ感があったが、民事再生法では「破産手続開始の原因の生ずるおそれ」又は「事業の継続に著しい支障を来すことなく債務を弁済できないこと」とされ、より早い時期に手続を開始することができるようになっている。

2009年06月22日

学説としての起源

情報化社会の概念を初期に提唱した、影響力の大きな論説として、非常に頻繁に言及される研究、著作がいくつかあるのでそれを以下に挙げる。

1962年 - フリッツ・マッハルプ 『知識産業』 (和訳 1969年)
1963年 - 梅棹忠夫『情報産業論』
1968年 - 増田米二『情報社会入門:コンピュータは人間社会を変える』
1969年 - 林雄二郎『情報化社会』
1969年 - アラン・トゥレーヌ『脱工業化の社会』 (原著はフランス語、英訳は 1971年、和訳は 1970年)
1973年 - ダニエル・ベル 『脱産業社会の到来』(ポスト産業社会とも)
1977年 - マーク・ポラト『情報経済』(和訳 1982年)
1980年 - アルビン・トフラー『第三の波』 (和訳 1982年)
一般に日本における情報化社会論、情報社会論の文脈では、梅棹忠夫が最初であるとされ、それ以前に遡る論はないようである。また、日本において「情報化社会」という言葉を提唱したのは林雄二郎である。英語圏では社会学者ダニエル・ベルと評論家アルビン・トフラーへの言及が非常に多く、マッハルプへの言及は少ないが、マッハルプ以前に遡るものはほとんどないようである。それ以外の研究者、著作については紹介者によって含まれたり含まれなかったりする傾向にある。
ハンドボール
ジーンズ
衛星
フラダンス
白地図
計算化学
茶道
フットバッグ
年金
船舶工学
免疫学
フードテーマパーク
生活習慣病
映画史
スクエアダンス
化学工学
ストリートダンス
地球
人形劇
生態系


1960年代前半におけるマッハルプと梅棹の業績は、日本では、通常相互に独立したものと考えられている。梅棹の業績は英語圏においてはあまり知られておらず、むしろ日本発の情報社会論としては増田米二が著名である。

増田米二の情報社会論は当時もてはやされていた未来学の影響の下にあったが、情報メディアの発達が経済分野を超え、社会・文化全般にわたる価値変容を促すこと、その中で個人がいかにして主体的な価値創造を行ない得るかという問題に注目を向けた点で、初期研究者の中では傑出しているといえる。

また、これだけを見ると1960年代における先駆的な研究があり、1970年前後から本格的な研究、著作が出版されるようになったとも見える。だが、実際にはベルは独立した書籍の形でこそ出版していなかったものの1960年代前半からポスト産業社会について論じており、最も早いものは、ボストンで開催されたセミナーのタイトルで、1962年にまで遡るという (Bell, 1973; Ito, 1980)。 ちなみに、同じポスト産業化という用語を用いたフランスにおけるトゥレーヌの仕事はベルのものとは独立したものであったと一般に考えられている。

日本では、早くから行政が情報化社会、情報社会の概念に注目して来た。研究者の中でも余り引用されることはないが、その最も早いものは恐らく経済計画審議会情報研究委員会が1969年に編集した『日本の情報化社会:そのビジョンと課題』であろう。これはダイヤモンド社から発行された書籍と、パンフレット状のものと2種類があるが、後者については佐枝 (1999) に当時の背景や分析などが見られる。

2009年06月05日

白鳥 長久(しらとり ながひさ、? ? 天正12年(1584年)

白鳥 長久(しらとり ながひさ、? ? 天正12年(1584年))は、戦国時代出羽の武将。白鳥城主(後に谷地城に居城を移転)。通称:白鳥十郎。義国、武則など、他の名も残るが、いずれも完全に同一人物である。

出自ははっきりしていない。白鳥義久の子として生まれたという。現村山市最上川左岸を拠点とした国人領主。文武兼ね備えた名将といわれる。谷地城主・長昌から村山郡内の名門中条氏を継承した。[1]叔父・長国が長女を寒河江兼広、次女を寒河江氏一族の溝延氏に嫁がせていることから寒河江氏と同盟した。また、叔父・義広の娘を天童頼貞に嫁がせて天童氏と同盟。こうして勢力を伸ばし、溝延地区を除く現在の河北町を支配下に加えた。
若返り 開業 癒し リラク お祝い 介護 スポーツ 学習 自動車 家庭教師 遊園地 矯正 関東 美容 信託 養育 興信所 損害保険 健康 ペット 生活習慣病 家電 通信教育 観光 学習指導 交通 バスト 中国四国 養毛 設計施工 運送 金融 弁護士 運勢 健康 養育 生活習慣病 バイク 英会話 検定 検定 宿泊施設 矯正 求人募集 美容 人探し 育児 生活習慣病 趣味 わきが

天文11年(1541年)、陸奥国の雄伊達氏の当主伊達稙宗・晴宗親子が争った天文の大乱では、最上義守の援軍として稙宗方に参加した。天正元年(1573年)、羽州探題最上義守、義光父子が家督相続を巡って争った天正最上の乱では、はじめは義守方につくが、義光方の勢いを見た長久は、和睦を仲介した。長久は和議の仲介者として一定の立場をえて、村山郡内の実力者となる。天正5年(1577年)には、織田信長に使を出し名馬白雲雀を献上、出羽守を得ようとするなど、外交活動を積極的に行った。[2]信長と誼を結ぶことで領国の安定化を図ったが、この行動は、出羽統一を目指す最上氏の当主である最上義光の警戒を呼ぶこととなった。

天正12年(1584年)、義光の招きにより山形城に赴いた際に謀殺された。長久を失った白鳥氏は混乱し、義光によって攻め滅ぼされた。長久の血を浴びたといわれる「血染めの桜」が昭和初期まで山形城内に残っていた他、首塚が今に残る。[3]また、長久自身のさまざまな伝説、逸話についても、史料が乏しいためどこまで事実かは分からないものが多い。

2009年05月02日

生物多様性の評価

生物多様性は幅を持つ概念であるので、さまざまな目的に沿った評価尺度が作成されてきた。それぞれの尺度は、データの使い方にあわせて選択される。

旅行・水族館関連旅の宿泊総合
アリコベール美的生活リンクサイト
建売・信託関連ビジネスジャンプCOM
ページワンライフスタイルパートナー情報
アレルギー・薬学関連ようこそ健康サーチ
ニユーロンドンショッピング買物サーチ
スーパーまなび学習ネット
キャンプ場・ホテル関連全国地域情報総合
ぷらすワンコスメ販売検索エンジン
信託・弁護士関連おまかせビジネス情報

遺伝学者は、この尺度は遺伝子の多様性と結びつけるのが適当であると主張している。どの遺伝子が有益あるかを常に立証することはできないので、多様性保全のための最良の選択はできるだけ多くの遺伝子を残すことである。一方、生態学者は、遷移を禁じることになるので、このアプローチは行き過ぎた制約であると、考えることもある。

通常、生物多様性は、短い時間スケールで地域の分類学的生物種の豊富さとして表現される。ホイタッカー[8]は、種の豊富さと均等度に注意を払いつつ、種レベルでの生物多様性を測るものとして3種類の一般的尺度について記述した(種多様性を参照のこと)。

種の豊富さ … 利用可能な指数の中では最も原始的。
シンプソン指数 (Simpson index)
シャノン指数 (Shannon index)
この他にも生態学者によって使用される3種類の多様度指数がある。

アルファ多様性 … 生物相または生態系といった特定領域中の多様性について、分類群(タクソン)数(ふつうは種)を数えることで測定される。
ベータ多様性 … 複数の生態系の間での種の多様性である。それぞれの生態系に特有な分類群の数を比較する。
ガンマ多様性 … ある領域の中の異なった生態系について全体的な多様性の尺度。

2009年04月18日

ウスティオ空軍

サイファー(Cipher)
本作の主人公(プレイヤー)。コールサインは「ガルム1」。
ウスティオ空軍第6航空師団第66飛行隊「ガルム隊」の1番機としてベルカ戦争に参加。ベルカ空軍の誇るトップエリートたちに率いられた精鋭部隊を相棒の「ピクシー」ことラリー・フォルクと共に撃破し続け、ウスティオの解放に貢献。連合軍の士気を向上させる。
敵のレーザー兵器「エクスキャリバー」を少数の味方とともに破壊、ベルカ戦争の激戦地B7Rの戦いでは、劣勢にあった連合軍を、その圧倒的な戦闘力と状況判断能力で一気に優勢に導く。この頃から敵味方問わず畏怖と敬意から「円卓の鬼神(The Demon Lord of the round table)」、又は単に「鬼神(The Demon或いはThe Demon Lord)」と呼ばれ始める。その後も各地を転戦、ピクシーの離脱による戦力の低下という危機的状況も、新たに「PJ」ことパトリック・ジェームス・ベケットを2番機に迎えて乗り越え、イエリング鉱山及びベルカ北東部アンファングに集結したベルカ残存部隊を連合軍との共同作戦にて壊滅させ、ベルカ戦争を終結に導く。
(一説には、アンファングのベルカ部隊は命令により降伏の為集結したとされているが、真偽は不明)
ベルカ戦争終戦後半年間の動向は明らかになっていないが、「国境無き世界」のクーデター時は再びヴァレー基地から出撃。ヴァレー空軍基地を襲撃したフレスベルグ及びエスパーダ隊の双方を撃破。
最終決戦の地・アヴァロンダムでは「国境無き世界」の一員となった「片羽の妖精」ピクシーとV2ミサイル大気圏再突入阻止を巡って一対一での対決を繰り広げ、死闘の末、かつての相棒を自らの手で撃破、V2再突入を阻止し「国境無き世界」を壊滅させる。
しかしながら、アヴァロンダム決戦後のサイファーの消息は不明、真実を知る幾許かの人間の記憶に残ったまま、歴史の闇の中に消えてゆく。
なお、Cipherとは0を意味するヒンズー語でシリーズ・ナンバーに因んだ命名。
ラリー・フォルク(Larry Foulke)(日本語音声:桐本琢也)
ガルム隊の2番機で、階級は少尉。ベルカ出身の28歳。TACネームは「ピクシー(妖精)」。コールサインは「ガルム2」。
以前戦場で右翼を失いながらも帰還した経歴があり、それを誇るかのように右翼を赤くペイントしたF-15Cを操る。このエピソードから、「片羽の妖精(Solo Wing Pixy)」の名でベルカ・連合軍双方の空軍に広く名を知られている[1]。1995年4月2日、雪が降る中サイファーと初めて肩を並べて戦い、腕を認めたサイファーを「相棒」と呼び、「エクスキャリバー」の破壊やB7Rでの戦いにて共に活躍する。
しかし、戦争の目的が「ウスティオ解放」から「ベルカ侵攻」に変質していくことへの疑念を隠し切れなくなり、1995年6月6日、スーデントール攻略戦中にベルカに7発の核が爆発したと同時にガルム隊を去る。
その後、アントン・カプチェンコ、ジョシュア・ブリストーらのクーデター組織「国境無き世界」に加入し、1995年12月31日、初めてサイファーと共に戦った時と同じく雪が降る中、新たな愛機ADFX-02を駆ってかつての相棒であった「円卓の鬼神」サイファーとアヴァロンダムにて雌雄を決する。交戦直前にガルム隊の2番機となっていたPJを撃墜するが、その後に解析結果から機体のECM防御システムと、その弱点が前部エアインテークと判明。V2再突入を巡ってのサイファーとの死闘の末、機体正面から左エンジンに被弾を受け戦闘不能となりベイルアウト、辿り着いた核の爆心地の住民たちに助けられる。
ベルカ戦争から10年の後、『ACE COMBAT 04』の舞台となったユージア大陸の小国デラルーシの国境沿いで、「国境の意味」を確かめるべく、地上でなお戦い続けるピクシーの言葉で物語は幕を開ける。なお、トンプソンがピクシーにインタビューを行った2005年11月25日は、メガリス陥落による大陸戦争の終結からおよそ2ヶ月後のことであり、映像からはISAFの義勇兵として戦っているようである。
サイファーへの口癖は「よう相棒、まだ生きてるか?」(Yo buddy. You still alive?)。
パトリック・ジェームズ・ベケット(Patrick James Beckett)(日本語音声:森田成一)
ウスティオ空軍第6航空師団第4飛行小隊「クロウ隊」の3番機。22歳。階級は少尉。TACネームはパトリック・ジェームズの略で「PJ」。コールサインはクロウ隊所属時は「クロウ3」で、ガルム隊へ異動後は「ガルム2」。
F-16Cに搭乗。明るい性格で、趣味はポロ。基地には恋人がいて、そのことでクロウ隊の先輩パイロットからいじられており、それを受け流せない真っ直ぐな気性の持ち主。ハイスクール卒業後にバイクでオーシア大陸一人旅をした際、とある国で『英雄』と称される伝説のエースパイロットに出会ったことがきっかけでパイロットへの道を選んだ。正義感が強く、戦争をなくすために戦っているが、戦いの非情さを軽視する傾向があるため、ピクシーには「理想で空を飛ぶと死ぬぞ」と諭されるなど、意見を異にすることがある。
ピクシーがガルム隊を去った後は、ガルム隊の2番機としてサイファーの僚機となる。アヴァロンダムでの最終決戦で、「国境無き世界」の一員となったピクシーの駆るモルガンのレーザーに被弾し戦死。帰還後には恋人にプロポーズをする予定だった。その後、毎年彼の命日には、欠かさず1人の女性がアヴァロンダムへ花を手向けに来るという。
AWACS「イーグルアイ」(Eagle Eye)(日本語音声:銀河万丈)
本名は不明。空中管制機E-767「イーグルアイ」管制官。
幹線道路171号線奪還戦より、ガルム隊の参加する戦闘を管制する様になる。イーグルアイよりガルム隊に様々な指示を出す一方、時にはちょっとしたジョークを飛ばすことも。
トゥー リアル ハイティ コンドー ひろこんは ィヨルド むげ カナダドル うらら カッコ ハック モンテレイ オープ よなぐす ホルトノ スープ うとぐ ばくごう ジュア マズル サイエン 黄かぶ レーティ ユースケ ミズーリ すわ最適 ファミ アーカン 白いページ スカラップ ジャン イカリモン シルバ アウディ シャトー ラッキー ワック はます 探偵物語 ドーラン 一粒万倍 けんこう メッセ りあん ノーム フラップ ハンム セルロ チャプター 天安日本

ベルカ空軍
デトレフ・フレイジャー(Detlef Fleisher)(日本語音声:川本克彦)
ベルカ空軍第2航空師団第52戦闘飛行隊「ロト隊」隊長。階級は少佐[2]。28歳。TACネームは「ストルツ(Stolz=誇り)」。コールサインは「ロト1」。「紅きツバメ(Red Swallow)」の異名を持つ。
ベルカ空軍きってのエリートパイロットであり、容姿端麗であることから、空軍情報部の情報戦略官ラインハルト・ダール中将によって、軍の戦意高揚を目的とした広告塔としても幾度となく登場している。愛国心が強く、祖国のために戦うことを何よりも誇りとしている。そのため、護るべき国を持たず金と力のためだけに戦う傭兵に激しい嫌悪感を抱いている。その傭兵に破れたためか、ガルム隊に撃墜された後は基地司令となり、空を飛んでいない。
2005年現在はベルカ首都のディンズマルク大学の歴史学教授として、教鞭と研究に勤しんでいる。父親ハインツ・フレイジャーは愛国心の高い陸軍軍人であるが優れた頭脳の持ち主ではなく、それに影響されてか「私は父のようにはならない」という口癖があったようである。男4人兄弟の末っ子。
ベルンハルト・シュミッド(Bernhard Schmidt)(日本語音声:竹田雅則)
ベルカ空軍第10航空師団第8戦闘飛行隊「グリューン隊」隊長。階級は大尉。30歳。TACネームは「ラオディ(Rowdy=乱暴者)」。コールサインは「グリューン1」。
少年期はストリートギャングとして過ごした。その経験が後に瞬時に戦局を見極める鋭い観察眼につながり、「フクロウの目を持つ男(A Man with the Eyes of an Owl)」の異名を持つ。1990年に当時議席数を増やしつつあった極右政党、ベルカ民主自由党の演説を聞いたことで愛国心に目覚め、ベルカ空軍に入隊。軍内の厄介者からなる、伝統のベルカ空軍としては異色のグリューン隊を率いる。
終戦とともに生まれ故郷スーデントールに帰り、2005年現在はバーの雇われ店長をしている。父親は幼い頃に亡くなっており、母と妹が1人いる。
デミトリ・ハインリッヒ(Dimitri Heinreich)(日本語音声:土師孝也)
ベルカ空軍第7航空師団第51戦闘飛行隊「インディゴ隊」隊長。階級は中佐。31歳。TACネームは「バローン(Baron=男爵)」。コールサインは「インディゴ1」。
ベルカ騎士団の末裔であるハインリッヒ家の四男に生まれ、騎士道を重んじた戦い方をする。その優雅な飛び方から、「藍鷺(Indigo Heron)」の異名を持つ。通算54機の総撃墜数は1970年以降のベルカ空軍でトップ。ベルカ戦争序盤の東部戦線において、ゲベート国境のモーデル制圧戦にてファト連邦のF-14Dからなる航空機部隊をわずか5分で9機撃墜するという大戦果を挙げ、その名を知らしめた。その後、ガルム隊との空戦で撃墜された際に重傷を負って人事不省となり、3ヶ月間の昏睡の末意識が戻ったときにはすでに戦争は終わっていた。
戦後は空軍を離れ、父親から貿易会社を継ぐ。2005年現在も多忙な日々を送っている。
オルベルト・イエーガー(Orbert Jager)
ベルカ空軍第5航空師団第23戦闘飛行隊「ゲルプ隊」1番機パイロット。階級は少佐。34歳。コールサインは「ゲルプ1」。
所属機が2機のみという珍しい編成であったゲルプ隊の隊長。ベルカ中南部のティオンビル基地を拠点に、主に「ハードリアン線」を中心とした南部防衛線の迎撃任務で活躍。空戦術の研究に熱心であり、Su-37の扱いにおいては当時のベルカ空軍でも傑出した人材であった。ウスティオ軍の首都ディレクタス解放戦に際して急遽東部戦線に出撃、その戦闘で撃墜され、脱出できずに機体が爆発。帰らぬ人となる。
ライナー・アルトマン(Rainer Altman)(日本語音声:田中秀幸)
ベルカ空軍第5航空師団第23戦闘飛行隊「ゲルプ隊」2番機パイロット。階級は中尉。32歳。TACネームは「シュライベン(Schreiben=文筆家)」。コールサインは「ゲルプ2」。「コルモラン(Cormorant=鵜)」の異名を持つ。
ウスティオ首都ディレクタスで撃墜され、脱出降下した地点付近の住民の母子に助けられる。その後はベルカには戻らず、自分を助けてくれた住民と結婚(彼を助けた住人の夫はベルカ戦争で戦死している)。
2005年現在は、入隊時から趣味で書き続けてきた戦記小説を執筆する文筆家として活動している。
ドミニク・ズボフ(Dominic Zubov)(日本語音声:大友龍三郎)
ベルカ空軍第13夜間戦闘航空団第6戦闘飛行隊「シュヴァルツェ隊」隊長。階級は少佐[2]。38歳。TACネームは「トート(Tod=死)」。コールサインは「シュヴァルツェリーダー」。
サイファーとピクシーの二人を『化け物傭兵コンビ』と呼ぶ。ユークトバニア出身であり、ユークトバニア空軍に短いながら在籍した後は、ロムヌイ共和国やヴァルカ王国空軍を渡り歩き、戦功を上げる傭兵であった。そして1990年、どんなことをしても敵を撃ち落とす姿勢と戦功に目をつけたベルカ空軍に、脱走パイロットを処分する督戦隊の隊長として雇われ、ベルカ空軍の中では数少ない傭兵となる。その出自と任務内容から、蔑みの意味も含んだ「エスケープキラー」「ハゲタカ」の異名で広く知られている。
戦後は戦犯を免れるため、2005年現在も逃亡中。かつてのエスケープキラーが一転して追われる羽目になり、生計の為密輸業者もしている。なお、一説ではドミニク・ズボフという名前自体が偽名であるとされる。
エリッヒ・ヒレンベランド(Erich Hillenberand)(日本語音声:安原義人)
ベルカ空軍第22航空師団第4戦闘飛行隊「シュネー隊」隊長。階級は中尉。40歳。TACネームは「フェニークス(Phonix=不死鳥)」。コールサインは「シュネー1」。
出世欲もなく、純粋に戦闘機乗りとしての生き方を望んだため、「万年中尉」と呼ばれる。生涯撃墜数は51機で、これはハインリッヒに比肩するベルカ空軍でのトップクラスの数字だが、一方でベルカ戦争での3回を含めた通算7回の被撃墜記録があり、TACネームよりも「死ねない男」の異名で通っている。しかしそれによる恐怖に屈しないどころか、重傷を負っても後送を拒否し1マイルでも所属基地に近い病院に収容されることを望んだという逸話もある。ベルカ戦争時には本人の希望通り最前線のクラード空軍基地に、ベルカ空軍往年のエースパイロットラーナー・マインツ中将率いる第22航空師団の一員として配属され、モンテローザ上空での戦闘で6機の撃墜スコアをマークするなどウスティオ制圧戦で活躍する。
こうした生き方のためか、戦後は戦犯として裁かれることもなく、2005年現在は民間の航空学校の教官として、空を飛ぶことに関わっている。
ディトリッヒ・ケラーマン(Dietrich Kellerman)(日本語音声:沢木郁也)
ベルカ空軍第51航空師団第126戦闘飛行隊「ズィルバー隊」隊長。階級は中佐。45歳。TACネームは「ラントヴィルト(Landwirt=農夫)」。コールサインは「ズィルバー1」。
戦前は空軍アカデミーで教官を務めていたが、ベルカ戦争勃発で士気向上のため前線に復帰させられる。現役時代は「銀色の犬鷲(Silver Eagle)」の異名で知られたトップエースで、レクタ紛争のマインツ山地における制空権確保や、ベルカ北方での領空侵犯事件(ヴェーレ事件)においての所属不明機撃墜といった戦果を挙げ、その後は当時の上官であるハインリッヒ・ランド少将の推薦によって空軍アカデミーの第9特殊過程、通称「ケラーマン教室」で教官としてパイロットの育成に携わっていた。教え子からは「ボス(Boss)」と呼ばれ慕われている。
戦後再度退役、戦犯として軽い刑を受けた後オーシア軍が引き入れようとしたが断り、現在は田舎に隠居。
アントン・カプチェンコ(Anton Kupchenko)(日本語音声:菅生隆之)
ベルカ空軍第18航空師団第5戦闘飛行隊「ゴルト隊」隊長。48歳。階級は中佐。TACネームは「シャドウ(Shadow=影)」。コールサインは「ゴルト1」。「ドクター(DR.=博士)」の異名を持つ。
年を取ったため研究優先の部署に異動になったが、それ以前はベルカのトップエースであり(当時のあだ名は「金色の啄木鳥」)、1995年当時もその技量は高かったようである。ベルカ国家防衛構想の一環である「ペンドラゴン計画」に着手し、エクスキャリバーやV2の開発に関わったと思われる。ベルカ戦争開戦と同時期に自らの部隊とともに失踪、戦後国境付近にて遺体で発見される。同時に失踪した部隊のメンバーの数人が、連合軍に拘束された戦犯の釈放を目的にしたテロ事件の実行犯となった。劇中では物語を語る上で重要な存在。
戦後はホルツ公立墓地に埋葬されるが、墓碑には「国境無き世界」の一員として決起する際の決意声明文とも受け取れる内容の文が記されている。
ウォルフガング・ブフナー(Wolfgang Buchner)
「凶鳥フッケバイン(Huckebein)」の異名を持つベルカ空軍きってのトップエース。階級は大佐。41歳。Mig-21bisを駆る。
自国に戦術核を落とす命令を拒否し、機体を奪って逃亡した為、エスケープキラーであるシュヴァルツェ隊に追われる。混戦のB7R空中戦へと紛れ込む事で、その追撃を振り切るも戦闘に巻き込まれ撃墜、その後は消息不明となる。だが同じ戦闘で撃墜されたオーシア国防空軍のジャック・バートレット大尉の独断によって秘密裏に保護されており、以後「ピーター・N・ビーグル」の偽名でオーシア軍に所属。
それから15年後の環太平洋戦争では、高齢を理由にバートレットによって戦闘機パイロットとしての第一線から離れており、目の前の戦争を今度は地上から見届けることとなる。アシュレイとは面識があるが、ベルカ戦争当時から嫌っていたことが『5』で明かされている。
アシュレイ・ベルニッツ(Ashley Bernitz)
ベルカ空軍第6航空師団第4戦闘飛行隊隊長。38歳。TACネームは「グラーバク(Grabacr)」。乗機はSu-47。
B7R空中戦において隊を離れ単独行動を取ってブフナーを追う。ゲーム内では放っておくとブフナーとバートレットを撃墜する(その前にガルム隊が撃墜することも可能)。戦後は自らの所属する第6航空師団長ブラウヴェルト中将がベルカ空軍の実権を握る中、オーシア国防空軍に転属し、ベルカ人アグレッサー部隊であるオーシア国防空軍8492飛行隊隊長を務める。オーシア軍内部で暗躍し、環太平洋戦争を引き起こす原因を作った。
ミヒャエル・ハイメロート(Michael Heimeroth)
ベルカ空軍第6航空師団第5飛行隊に所属。23歳。ケラーマンが教官を務めるベルカ空軍の空軍アカデミー「ケラーマン教室」の出身。TACネームは「オヴニル(Ofnir)」。乗機はF15S/MTD。
ベルカ戦争時にはルーキーながらB7R(円卓)にて連合軍機25機撃墜の記録を持つ。戦後、ユークトバニアに移りユーク空軍に転属、アグレッサー部隊の隊長に就任した。ベルカ公国再興のため、ユーク軍内部において暗躍し環太平洋戦争を引き起こす原因を作った。